実は変化しまして②お嬢のピンチ。

前回の記事にかいたとおり

明らかにお金、見た目、結果、そう「高さの幸せ」に執着が止まらなかった過去の私です。それはそれでいいけど、問題は「そうでないと生きた心地がしない」ほど固執し、観点が固定し、見えない不自由につかまされた人生であったこと。

 

そこまで強烈にそんな判断基準ができてしまう私になる過程がありました。

幼少期は、父親一家が観光バスの経営者で、しかもシャンデリア付き2階建てバスを日本で初めて打ち出したバブリーそのものの会社と家庭。

母もちょっと美人ですらっとモデル系で、いかにも成金の父が見た目で選んだ感じ笑

あ、母の心はちなにみ愛情深く素敵だけどきっかけは見た目と思われる。

父は明らかに美人が好きで、私たち娘2人にも女は綺麗でいるように無意識でプレス。

母もお昼寝さえ綺麗な洋服で笑  「はーちゃんのお母さん、あんなタイトスカートでよく眠れるよね笑」 と遊びにきた友達に言われてそのことがおかしいことに気づきました。ペルシャ猫を抱っこして「いらっしゃい」とほほ笑むマダム。はい母です。

 

私もずっとコンビニに行くときもわざわざスカートに履き替える習慣。

 

分かりやすいバブル家庭で幼少期の私は幼いながら「この世は弱肉強食!いい学校にいって、人の上に立つ仕事をしないと」と悟り?ました。

塾通いとカテキョで私立の大学までエスカレートの中学校に合格。片道電車で1・5時間7時間授業でクラブ活動する暇もなかったです。

そこでは、地元の小学校時代にはない会話「シャネルの化粧品買った。気に入らないからあげるね。山いくつもってる?おうちにトイレなんこあるの?」そんな憎たらしい会話を重ねる中学生軍団。100坪ないことが恥ずかしくて必死で隠しています。

そして勉強。毎回順位がでる進学校だから負けるわけにいきません。

頑張りました。そしてもっと上の学校にいきたくなってエスカレーターの学校だったけど高校受験をして大阪で2番目に賢い女子高英語科に合格。1番の学校は制服がダサいからいきたくありません。

そこ一つ目のステータスげっと。チヤホヤ。「え?・・女学院?」外の学生から結構モテルこと。

成績だけではなく、綺麗な女子ばっかりの学校で有名でした。

ガリべんばっかりの中学時代とはちがって、みんな可愛くておしゃれで雑誌にのるこもおおかった。それでも勉強もさくっとできるし英語も話せる、ボランティアまでする学校。なんと!! 成績だけがんばっても勝てない域に出会ってしまい

ここでまた優越感劣等感を強烈に作動させてエンジン全開のわたし。

最終的に校内で「はるみさま」ファンクラブが一部でできました。

派手です。とにかく。

ご想像とおり、このまま大きくなったらイタい感じ。

この時までは親の後ろ盾、その恩恵だったことも知らず

調子にのるのでした。

 

そして高校3年生の春、大阪が失業率5%をはじき出した歴史的不景気到来。

父の会社が倒産し、新聞にのりました。

私と姉は暫く、おうちからでました。

とってもこわかった>< 

これから家族がどうなるんだろう。このごに及んで

私のお嬢様としてのプライドいきなり捨てられるわけもなく。

ピンチでした。